2. モンゴラム
2.1 働く子ども
ゲルに着いて、すぐ目にしたもの。
幼い赤ちゃんを片腕に抱き、
近くの川まで水を汲みに行く小さな女の子。

みんなで遊んでいるとき、
お父さんから用事を言いつけられて、
肩を落としながら馬でどこかに向かう男の子。

遊牧民の子供たちは、すごく働き者。
忙しく暮らすお父さん、お母さんの後姿を見ているせいか、
用事を言いつけられると、たとえ遊んでる途中でも、
口答えせず、素直にそれに従う。
最初に見たときは、
小さい体で重い荷物を運び、遊びたい盛りに
こうして家の手伝いをしなければいけないのは
大変だろうなと思った。日本だったら、
勉強して、遊んでいるだけでいい。
でも、そのけなげな姿をずっと見ているうちに、
こうやって過ごせることは幸せなのかもしれない、
って思うようになった。
これまでに旅行した数々の国でも、
働く子どもにいっぱい出会った。
インドのバナラシ、タイのカオサン通り…。
私たちが行くような場所は、大抵観光地。
そこに集まる子供は、悲壮な顔をしながら、
花や飾り物などを売り歩いている子が多い。
夜中の12時を回っていても、
小さな女の子が裸足で町をうろつき、
泣きそうな目で必死に観光客に物を売り歩く。
まるで、今日の売上があがらなくて、
親か誰かに怒られるのを怖がるかのように。
そういう姿が心に刻まれていたこともあって、
偉大な自然の中で、そして親の愛に包まれながら、
遊牧民の生活を支える仕事が出来る彼らは、
やっぱり幸せなのかもしれないと思った。
彼らの純粋な笑顔がそれを物語っているよう。
ただ、遊牧生活を送る彼らのそばには学校はなく、
小学校を過ぎると、親元を離れ、数百キロ離れた
ウランバートルの学校まで通うことになる。
お店があり、バスがあり、テレビがあり…
都会の便利な暮らしを知り、子供たちは
この暮らしに戻ることを選ぶんだろうか。
よその国の旅行者としてのエゴを敢えて言うと、
彼らには、あの大自然に戻り、遊牧民としての
誇りをたたえて暮らしてもらいたい。
何よりもあの純粋な笑顔を決して絶やしてほしくない。
純粋な笑顔は、それだけで財産だから。
「田舎に帰って」なんて、
東京にずっと暮らして、
地元に戻らずにいる私が言えた台詞じゃないけど。
東京に来て、私の笑顔は変わったのかな。
2.2 大事なゼリー
ゲルで6日間生活していて、
ほとんど目にしなかった甘いお菓子。
クッキーのようなものはあったけど、
オヤツを食べる子供たちの姿は
ほとんど見かけなかった。
ある日、隣のゲルの子供たちが、
トコトコとうちのゲルに遊びにきた。
なんかうれしそうにしているなぁ、と思ったら、
オレンジ色の一口ゼリーを手にしている。
誰かお客さんがお土産に持ってきたのかな・・・なんて
うれしそうに食べる姿を微笑ましく見つめていたんだけど、
彼女たちは、ゼリーをカップから出そうとせず、
ペロペロ大事そうに表面を舐めるだけ。

しばらく経っても、ゼリーはカップの中だった。
その姿を見てハッとした。
彼女たちにとって、このゼリーは贅沢品。
そして私たちにとっては、1個2個・・・手元にある限り、
何の意識もなく食べられるもの。
普段、いかに自分たちが無駄に消費しているか、
彼女たちがこうしてゼリーを大事にする姿を見て
思い知らされる。
飽食の時代だから・・・
なんて言葉にしてしまえば簡単だけど、
モノの、食べ物の有難さを
私たちは忘れてしまっている。
そんなことを思いながら、彼女たちを見ていると、
妹の子が鼻をたらしていたので、
ティッシュを取り出して、鼻を拭いてあげようとした。
それを見たお姉ちゃん、
大事そうにティッシュ(2枚重ね)を1枚1枚はがして、
それを半分に割いて、1/4のティッシュで、
妹の鼻を拭いてあげていた。
そう、それで事足りているのに。
私たちはどんなに無駄に消費しているんだろう。
日本に帰ったら、モノの大事さを改めて考えよう。
そう心に決めたはずなのに、いざ日本に戻れば、
1枚のティッシュの有難みすら、考える機会はない。
ある日、何気なく大量にティッシュを使ったあとで、
またハッとさせられた。
日頃の贅沢を戒められるよう、
彼女たちの大事なゼリーのこと、1/4のティッシュのこと、
忘れないようにしなくては。
2.3 自然を守るため
ゲル滞在中、ゴミをまとめていたのだけど、
最終日が近づくと、それが結構な量になった。
ウランバートルに戻ったら、ゴミ捨て場にでも
捨てさせてもらおうと思っていたのだけど、
こう改めて見ると、自分たちの暮らし方は、
こんなにもゴミを出すものかと気づかされる。
一緒に生活していて、遊牧民のみんなが、
こんなに大量のゴミを出してるようにも思えない。
水のペットボトルはじめ、私たちが持ってきたのは、
使い捨て製品の数々。ゴミが出ないはずがない。
ある日、うちのゲルのお母さんが、
ゴミを指差して、なんか言ってきた。
最初わからずにいたら、マッチ棒を出す仕草を
したので、なるほど、燃やしてくれるらしい。
とりあえずペットボトルは除いて、
(後から、これに馬乳酒を詰めてお土産にもらった)
これはプラスチックだから・・・などと分別作業を
始めたら、お母さんはそんな必要はないという。
大丈夫かなぁ、と思いつつ、全部まとめて、
ゲルから少し離れたゴミ捨て場に捨てて、
マッチ棒で火をつけた。少しずつ少しずつ
ゴミが燃えていく。黒い煙をあげて。
ゴミが軽くなったのはうれしかったんだけど、
なんとなく釈然としない。自分たちが持ってきた
ゴミが、モンゴルの空気を汚すような気がした。
その後、涙の別れを経てテント生活をしている時も
またもや大量のゴミが出てしまった。
今度こそ、ウランバートルに持って帰ろう、と思って、
車に積んだのだけれど、途中、運転手さんが
不意に車を止めて、ゴミを草原のくぼ地にポイっと捨てた。
あまりにも自然な動作。
突然のことすぎて、止められなかった。
これがモンゴルでは当たり前、と言われたら、
返す言葉が浮かばなかったから。
あのゴミの中には、ペットボトルもあれば、
土には戻らなそうなゴミがいっぱいあった。
あんなにキレイな草原に、自分たちのゴミが
永久に残ってしまうのかと思うと、胸が痛くなる。
あんなに感動して言葉を失ったモンゴルの大自然に、
私たちはあんなにゴミを残してしまった。
それからウランバートルに戻ると、道路の脇はゴミだらけ。
きっと当たり前のように、ゴミを自然に捨てることに
モンゴルの人々が慣れてしまっているんだろう。
でも、そんなんじゃダメだ。
富士山がゴミの山と化してしまったように、
こんなことを続けたら、たとえどんなに広大な土地でも、
モンゴルの自然が、どんどんゴミに侵食されてしまう。
ただでさえ、砂漠化の危機に面しているのに。
モンゴルの自然を守らなくては。
みんなにゴミ問題の意識を広げなくては。
自責の念も込めて、モンゴルの環境問題に役立てるような、
ボランティアがないか、今、探しているところ。
でも、何よりも身近な自分の職場を振り返ってみると、
1日の終わりには、すっごい量のペットボトルが
ゴミ袋に詰められている。並大抵の量じゃない。
捨てる量を減らさなければ、ゴミ問題は解消しない。
1人1人がなんとかしなきゃいけない、と漠と思う。
でも、これを書きながら、私はペットボトルのお茶を飲んでいる。
・・・矛盾だ。
2.4 デール!!
モンゴルの民族衣装・デール。
デールはすごい機能的。
防寒着としての役割は勿論だけど、
袖が長いから、熱いものも触れる。
裾が長いから、屋外トイレも隠せる。
いろんな使い方が出来るデール。
ウランバートルではあまり見かけなかったけど、
遊牧民のみんなは、よくデールを着てた。
普通のシャツとズボンの上から、
デールをさっと羽織って帯でグルグル留める。
これでデール着用完了。すごく簡単。
デールは、お母さんが作ってあげるんだって。
よく見ると、留め金なんて凝った作り。
お母さんの愛情の表れだ。

私は民族衣装が大好き。
だから旅行にいく度に、自分へのお土産に
その土地の衣装を買ってくる。
日本で着る機会はなかなかないけれど、
それを持ってるっていうだけでうれしくなる。
写真と同じ、大事な思い出。
それも今回の旅には特別な思い入れがあるので、
思い出を象徴するようなデールが欲しかった。
モンゴル最終日、ウランバートルで
お土産を買いにでかけたんだけど、
店を何軒か回って、必死に探して、
見つけたのは、水色のデール。
モンゴルの青空を思い出させるような、
素敵なデールに出会えた!
うれしいいいいー。
もう帰ってきてから2週間も経つけど、
未だに部屋にデールを飾って、それ見ては
みんなの笑顔を思い出したりして。
今度戻ったときにはデールを着て行こう!
そしていつか、お母さんにデールを作ってもらいたい!
2.5 世界に通用する芸とは
「世界に通用する芸とは何だ?」
これは私の長年のテーマ。
世界に通用する芸。
と言うと大げさだけど、旅先で出会ったみんなを
ひきつけられるような、楽しませられるような、
そんな一芸を身につけたい、と思う日々。
そんな思いに囚われたのは、
数年前のインド旅行がきっかけ。
ちょうど年末に旅行していたんだけど、
大晦日、ガンジス川沿いのゲストハウスで
New Yearパーティが繰り広げられている中、
フランス人が披露したファイヤーダンスに、
みんな拍手喝采!彼らは普通のダンスも上手いし、
ダントツ目立つ存在だった。
これを見て、すごい!という思う一方で
自分なら何が出来るだろう?という気持ちが強くなって、
それから機会あるごとに頭をひねるようになった。
そんな中。
あるとき、神社で南京玉すだれ芸人を目にして、
「探していたのはこれか?!」
と雷に打たれたような気持ちになった。(大げさ?)
ポイントは携帯性があること、そして
(何であれ)人の注目を集められそうなこと、
この2点は私の重要な選定基準だった。
勢いでハンズに行って、
南京玉すだれを手にしたらなんと1万円。
うーむ、玉すだれに1万円…。
玉すだれ衣装セットを加えると、かなりの金額になる。
費用対効果が計りきれず、思わず尻すぼみしてしまった。
後から考えると、道端で玉すだれをしてる自分を
想像したくなかったのかもしれない。。
というので、また振り出しに戻って、早2年。
結局、丸腰でモンゴルに向かうことになったんだけど、
みんなと一緒に生活する中で、なんとなく、
私の芸のタマゴたちを見つけた。
まず1つは似顔絵描き。
私が日記をせこせこ書いてると、興味深そうに
子どもたちが寄ってきたので、ふいに
ある女の子の似顔絵を描いてみた。
そしたらその子は大喜び。
他の子の絵も描いてみたら、お母さんや
お父さんまでも「見せてくれ見せてくれ」と大合唱。
美術センスゼロの私だけど、
似顔絵を描くのは、なんとなく得意だった。
下手は下手なりに、人の気を引くことは出来るらしい。
もうちょい練習すれば、
鉛筆とノート1つだけで芸になるのかも。
あと、もう1つはマッサージ。
モンゴル日記にも書いたけど、日頃の重労働で
肩こりに悩むお母さんにマッサージしてあげたら、
すごく喜んでくれたことがあった。
私は以前、ちょっとした好奇心で、
タイで古式マッサージの20時間マンツーレッスンを
受けたことがあったんだけど、その努力むなしく、
それから他人に施すこともほとんどなく、
どんどんスキルが廃れていたところだった。
でも、こうして誰かの役に立つことがわかると、
こういう技術も、芸として考えても
まんざらじゃないのかなぁ、と思ったりして。
まぁ、似顔絵もマッサージも、
今回のような旅だからこそ通用したんだと思うけど、
世界に通用するかはまず置いておいて、とりあえず、
私の芸として昇華させてみたいな、と気づかされた
モンゴル旅だった。
とは言え、世界に通用する芸を探す道のりは険しい。
みんなは何かいい芸持ってる?
#写真はすごい乳搾り芸を持つお母さんの後姿

2.6 自分が出来ること
モンゴルに関わる問題と言えば、
マンホール・チルドレン。
貧困のために親から捨てられ、途方もなく、
寒さをしのぐためにマンホールで暮らす子どもたちが、
1000人も3000人もいると言われている。
今回はウランバートルに滞在した時間も短かったので、
彼らを目にする機会は1度もなかった。
私たちが出会ったのは、
幸せそうな笑顔を浮かべる遊牧民の子どもたちばかり。
モンゴルの良い部分ばかり目にしたのかもしれない。
でも、モンゴルが豊かになるためには、
課題が山積みなのは、旅をしてて、なんとなくわかったし、
モンゴルのために、何か出来ないだろうか。
今回の旅で特にそういう思いが強くなった。
そんな気持ちがあったせいか、
ぶらりと寄った本屋で思わず手にしたのは、
マザー・テレサの本。
どんな人にでも分け隔てなく、至上の愛を捧げるマザー。
そこに宗教という強いバックボーンがあるせいか、
私の理解を超える部分はあるけれど、
「困っている人に何故手を伸ばさないのですか?」
というマザーの問いは、真理をついていて、
これまで何も行動できていなかったことを
強く強く思い知らされてしまう。
この本を読んで、
マザーの思想とは大きくギャップがあることは
感じてしまうけれども、そこでマザーが言う、
「自分に出来ることをすれば良いんですよ」という
言葉に少し救われる気がする。
そう、私に出来ることから始めよう。
少しでもモンゴルに貢献できそうなものを
ネットで探してみたら、見つけたのが写真のもの。

かの有名なボランティア団体(PWJ)が進める
「フェアトレード」(※)施策の一環で、
「モンゴルの大草原のまろやか岩塩」という
モンゴル産の塩が売られているらしい。
※ただ資金的援助をするのではなく、
適正な価格で商品取引を継続することで、
各国の持続的な生活向上を支えることを
目的とした施策
http://peace-winds.org/shop/food.html
この製品を作り上げる過程で、モンゴルに労働力が生まれ、
失業者を減らす仕組みになっているそう。
こうして少しでも状況が変われば、新たに生まれる
マンホール・チルドレンが1人でも減るかもしれない。
塩としては少し高めかもしれないけど、
自分がすごくお世話になったモンゴルに、
少しでも恩返しが出来るように買ってみた。
少しずつ、少しずつ。
#写真の背景は、今回買った空色のデール